随想
出口論
<古新聞・特産野菜・間伐材>
あゆかわ のぼる

 仕事柄各種の新聞を読む。出版社のPR雑誌以外の定期購読の雑誌はないが、必要に応じて多くの雑誌も買い込む。同人雑誌を中心にいろんな雑誌や印刷物が送られて来る。書類が届く。
 同人雑誌を除けば、それらのほとんどが数日、ものによっては数十分で役目を果たし終える。どうなるかというと、紙屑として処分するしかない。紙屑として溜まる量は並ではなかった。
 しかし、一方でちり紙交換車がよくやって来てくれたので、処理に困ることはなかった。
 それが、やがてちり紙交換車の来る頻度がどんどん少なくなって、家の中に紙屑の山が出来始めた。
 どうしたかというと、まず新聞をやめた。
 三紙取っていた全国紙を一紙にし、政党紙をやめ、経済紙は時々図書館に出掛けて目を通し、雑誌も吟味して買うようにした。週刊誌はかつての百分の一ぐらいに落ちた。
 思い切って紙屑を発生させないようにしたのだ。
 次に、ちり紙交換車に出来るだけ来て貰う作戦を立てた。こっちがサービスを始めたのだ。冷たい飲み物や、冷やしてある栄養ドリンクを出したりした。その効果か定期的に来てくれた。
 ところが、今年に入ってパタリと来てくれなくなった。
 人に聞いてみたら、「需要が少ないからじゃないか」と言う。再生した商品が売れない、ということだろう。日本人は無意味な贅沢をして、再生商品を使わないのかしら。そう言えば、いつかテレビで、そんなことを言っていたような気がする。
 役所あたりがせっせと使い、民間にも使うことを勧めればいいのに、と思う。再生に高いコストがかかり、値段が高くて税金を使い過ぎるということがあるとしても、そのことに国民は文句を付けないと思う。他の無駄遣いに比べたら、ね。
 消費が多くなり、需要が増すと、コストは下がる。
 貧者の一灯のつもりで、一応、紙の消化の比較的多い仕事をしているものとして、分かれば必ず『再生』と書いてあるものを使おうと心掛けている。
 結局、故紙を集めるのと同じか、それ以上にそれを消化する、所謂出口をもっと広げ、活性化することに役所は力を注ぐことが大事なのではないか。
 それに似たことで、農業。
 以前よく、賢妻の知り合いから、ある年はホウレン草を、別の年にはピーマンを、と夫婦二人ではとても食べきれないほどの量の野菜が届くことがあった。農業をしている友人が、遠くからわざわざ、野菜をどっさり持って来てくれることもある。
 それらは、町役場とかJAが奬める“特産品”らしいのだ。
 そして、いずれも自分の畑から採って来るのではなく、JAかどこかから買って来る、と聞いたことがある。
 どういうことかというと、役場の奬めで、補助を受けて野菜を作る。収穫した物をJAに納める。売れ残ってしまうと、それをJAの職員とか栽培農家に売り付ける。処分に困って親戚縁者、友人知人に配る、という訳だ。不思議な話だ。
 よくテレビなどで、大量のキャベツや白菜などをブルドーザーで踏み潰している様子を見る事があるが、あれも、豊作と需要不足というアンバランスから来る値段の暴落を防ぐためだと説明される。今年は、牛乳を捨てている様子も見た。
 ああいう風景を見ていると、人間はいかに愚かな動物かがよく分かる。勿論、愚かなのは農家ではなく役所側の方だけど。
 私は、全く事情を知らないまま、「その野菜や牛乳を、必要としている地方、あるいは国や地域があるはずだ」とか、「加工したら需要があるのではないか」という思いにかられる。そういうことを、公の場で言ったこともある。

 野菜作りについては農家はプロだ。極論を言えば、特に技術指導も補助もなくても十分いいものを作れる。問題は、それがどうすれば売れるかで、需要の安定的な確保こそ、疎くて頭を悩ますことだろう。そこに手を差し伸べてやるのが、行政とかJAの役割なのではないか。
 これも出口の問題だ。
 もう一つ行ってみようか。
 秋田杉の問題。間伐材のことだ。
 秋田杉は、ハタハタと共に、良いに付け悪いに付け、秋田県の屋台骨的な財産だ。その秋田杉がうまく育っていなくて、その最大の原因が間伐が思うに任せないことだという。
 密生しているので、日が当らず風通しが悪く、思うような状態での成長が出来ないでいるらしい。
 これは、植え方に問題があったのではないかと言われ、秋田市の山林経営者、佐藤清太郎さんが、それを克服する植林を始めていると聞いたことがあるが、それはこれからのこと。問題は、今、植えて二十年から三十年の秋田杉は、間伐が進まなくて、日光浴と酸素不足で気息奄々らしい。そして、それらしい手当てはほとんどされていない。
 そして、その理由として、役所などの関係セクションでは、「山林労働者の不足」とか、「山村地域の過疎化」などをあげ、あるいは、「間伐材の使用ニーズの変化」とか、「外材に押されて」とか、「コスト高」などを列挙する。
 そんなことは素人でも分かっている。しかもなお役所の言う台詞ではない。それをどう打開するかを考えるのが仕事のはず。
 「昔は土木工事の足場に使ったものだが、今は鉄パイプになった」と泣き言を言ったって何の解決策も生み出せないし、「間伐にかかったコストを木材価格に吸収出来ない」と言ってみてもどうにもならない。
 ここでも故紙や野菜と同じで、入り口対策と出口塞ぎ論で立ち往生している。
 大事なのは『出口充実』対策だ。
 間伐材の利用方法を抜本的に考え直すこと。
 例えば、県が全国に向けて『間伐材利用方法コンテスト』のようなものを企画し、思い切った賞金を出して募集する。うまいアイディアが出たら、新しい特産品が生まれたり、産業が生み出されるかもしれない。
 舗道のウッドブロックだって、どこかでチョコチョコやるのではなく、大々的に、全県規模でやればいい。県庁や市役所のある山王一帯や、今一番話題の中央街区、空港や秋田駅前、地方振興局周辺などをウッドブロックにしたら、県外から来た人たちがびっくりし全国に広まる。他県、特に首都圏がその気になったら大市場だ。コストはすぐ下がる。
 ペレットストーブだってそうだ。いろんなところに補助を出しているのだから、ストーブ購入者に補助すればいい。そうするとペレットが売れて、間伐材の需要が大きくなる。
 需要が大きくなると当然供給源が沸き立つ。そうなれば働く人も集まる。
 これもまた出口の問題だ。
 こんなことを言うと、必ず出て来るのが、「ストーブ業者やペレット製造業者個人に補助を出してはならぬ」という横槍が入る。あるいは、役所が先取りして懸念する。後進県秋田の風土病である『足ふっぱり病』だ。
 そういう業者を育成することが、起業意欲を刺激して、地域と人々を生き生きさせる。
 人間と同じで、出口が爽快だと、全身がイキイキする。
 入り口のことを考えるよりずっと難しいが、最も大事な出口活性化をみんなで論じよう。